やっと気持ちが落ちついたと思ったら。

3月11日、14時46分。

区役所に行く為に15時に川崎の職場を出ようとパソコンをシャットダウンしようとしてて、揺れに気が付きました。
小さな横揺れ。あ、地震。と思って収まるのを待っていたら、横揺れが大きくなった。
あれ?結構大きいな。と思っていたら、横揺れがゆらゆらからグラグラになってきて、危ないかもとヘルメットを取ろうと立ち上がった途端、さらに揺れが激しくなった。
何かに捕まっていないと立ってられない状態で、書棚がぐわんぐわん揺れて、これ以上大きくなるの???怖い!と感じていたらだんだん収まってきたけれど、この時間は5分ぐらい揺れているように感じていた。
かなりでかいぞと上司が言うのでテレビをつける。三陸沖が震源地。震度の分布図に7という数字が見えた。職場は震度5。マグニチュード7.9。

しばらくすると津波警報に切り替わった。2m?3m?危ないぞと話している間にも大きな揺れがくる。これは余震だとおもっていたら、茨城県沖の大地震だった。そこからはdichanや家族に電話。すぐメールしたせいかdichanからは返信が来る。そのあとは家族に電話かけながら、テレビを見ていた。

テレビは、津波が街を飲み込むところを流し続けていた。大きい船がいとも簡単に押し流されている。ヘッドライトがついている車がミニカーみたいにひっくりかえり、海に飲まれていく。黒い水が地を這う様に流れて、、それを見ているしかなかった。その間も大きな余震が続く。

電車は全て運転見合わせ、停電もしているとのことだった。実家に電話しても呼び出し音がなっているのに誰も出なくて怖くなった。あとから実家は停電だったと聞いてほっとしたけれど。

駅で待っていれば電車がうごくかもしれないと女性スタッフが一人帰った。でも情報によると停電で信号が止まってるらしい。ひとまず様子をみる。
テレビは、津波の様子、千葉のタンク爆発しか映らない。5分おきぐらいに画面の上に地震情報が出る。家に帰れるか、、、電車は動くのか。

18時半過ぎにはJR全線で終日運転中止になる。あの京急は頑張ってくれるだろうと思っていたけどダメだったみたい。

会社の人が車で送ってくれるという話になったとき、先に帰った女性スタッフから電話が来た。川崎駅にいるけど電車は動かないみたいだと。4時前に帰って3時間近くいるとのこと。。会社を出て彼女も拾って車で15号に出るが、車はほとんど動かない。2時間立っても同じ場所から1kmも動かない。
車の渋滞の傍で、バイクとチャリはすいすい。歩道にはたっくさんの人が歩いている。どこまで歩いていくんだろうか。私もこのさき車がほとんど動かないとわかったなら歩いて帰る覚悟をしていたけれど、24時近くにやっと空いた道路にでる。家に着いたのは午前2時半すぎだった。

極度の緊張のせいか次の日はなんにもする気にならず、TVを見ていたら辛くなってしまってボーッとしてた。

今は地震の酷さよりも福島の原発の話ばかり。民放は不安を煽る様なことばかりいう、被災者への意味ないインタビューばかりなのでTVは見ていない。原発事故は確かに深刻だけど、今この時間にも被爆しながら作業している社員がいると思うとただ祈るだけしかない。

Dichanは母国のラジオやTVのインタビューをよく受けてる。大きいニュースになってるんだな。。

生活は問題ないけど食べ物や電池の買い占めが始まっていてスーパーのカップ麺やパンの棚はすっからかん。計画停電なんてのも始まってる。電車は不安定な運行状況。でもこうしてご飯が食べれて寝る場所があるってことは幸せなことなんだ、そう感じずにはいられない。



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